レースでの経験と高い技術力で「ホンモノ」をユーザーに届ける。
2018/11/30
いつかはメーカーになりたいという強い思いでスタート。
中西:単刀直入に伺うと、主力の製品というのは何になりますか?
鶴野:いろいろやっているんでね(笑)。
特にこのメーカーが強いとか、主力の製品というと難しいのですが……。
バックステップ関連の商品を扱い、製造しようと思って始めたのでステップは多いですね。
最近はハンドル屋というイメージもお客さんにはあるかもしれません。
でも確かにステップまわりが「得意」ですね。
中西:メーカーやこれという製品ではなく、最近ではKAWASAKI Z900RSの方も押していらっしゃいますよね?
鶴野:製品としては間もなくですね。
実は鈴鹿8耐でお披露目したいと試作をずっと作っていて、イベントに持って行ったんです。
いまZは人気がありますからね。
ただ、今年の8耐、台風が来ていたじゃないですか。
それでイベントがだいたい中止になっちゃって……。
ライダースビレッジというグラスタ裏の場所でのイベントも、ほぼすべて台風で中止になってしまった。
見ていただけるのはピットウォークだけでしたね。
でもZは海外の方にも人気でした。かなりプロモーションには力を入れたので、ピットでは盛況でしたよ。
中西:Zもそうですが一般車両向け、ストリートユーズというのもやっているわけですね。
鶴野:基本的にはレースなんです。
うちのなかではミニバイク、250には力を入れてきました。
OEMの請け負いの仕事から工場を始めて、僕もレースが好きでレースをしていたので、いつかはメーカーになりたいと思っていました。
1991年のRS125を購入した覚えがあるので、そのあたりでレースをしていましたね。
一度出て予選で落ちてしまいましたけど(笑)
中西:あのころは台数も多くて過激な時代でしたね。
予選も一周のタイムアタック程度でしたし。
鶴野:僕は大阪出身なんですが、どうしてもレースをしたくて、峠なんかをよく走っていました。
それで三重大学に進学を決めたんです。
就職する勇気もなくて、レースもしたい、それで、とりあえず鈴鹿に来ちゃえば何かできるかなと思ったんですね。
レースのために進学しないと決断する勇気もなくて、学生寮に住み、SUZUKI GSX-R400でスポーツ走行をしていました。
いつかレースに出たいなと思いながらね。
レースもいちばん人口が多かったと思います。
サーキットの走行枠を取るのも大変で、鈴鹿市内の公衆電話からかけたらつながりやすいなんて都市伝説めいた話もあったくらいです(笑)
中西:本当にそうでしたね。
すごい時代でした。
月に一本走行枠が取れるかどうかでしたから。
鶴野:そう考えると、いまは環境はいいですよね。
一日中走れる。あのころ皆がそれくらい走れていたら……結果は変わらないでしょうけど(笑)
こんな記事も読まれています